霊障トラブルについて
・心が原因のトラブルと霊(魂)障について
生きるとは「四苦八苦」を避けては通れない・・と仏教でも言われます。
悩みが強くなれば、それは苦へと変わります。
心が原因で発生する苦は、自分自身や、自分の環境を改めることで改善できることも多いのです。
その反対に、霊(魂)障と言われる分類に入るトラブルは、必ずしも自助努力だけでは、解決が難しいことの方が多いように思います。
懸命に自助努力を重ねて様々な手段を講じてみても、改善が見られないトラブルがあるなら、別の方法を考えてみるべきかもしれません。
ただ、どちらの場合にも、必ず、解決・改善する道はあります。
もちろん、どちらも自助努力が必要であったり、時をかけなかればならないこともあります。「棚から牡丹餅」的なことで真の改善にはつながらないからです。
しかし、重ねて言いますが、改善が出来ないことも、解決が出来ないことも、実はほとんど無いのです。だからこそ、あきらめないで欲しいのです。
霊障を受けているかもと感じたら、下の表でご自身でチェックしてみて下さい。
※ 心=心の疲れの可能性 霊=霊障の可能性
・霊ってなに?
霊=魂 ということです。
人間は皆、肉体の中に個の魂を宿しています。
しかし、死によって肉体を失った時点で、魂は肉体を離れます。
この状態を「霊」というのです。(動物も人間も皆、同じです)。
・除霊、浄霊とは?
「除霊」とは肉体を失った霊(魂)が、人や動物あるいは土地やモノに入り込んだり、
住みついたりした場合、人や動物、モノから退出させることを言います。
「浄霊」とは霊(魂)を迷いや怨み、悔いの情念から離れさせ、安寧な道へと向かわせてあげることを言います。
・どんなモノにも霊は入る?
動物(肉体を持っている)や人、形あるモノ、時には仏像や神棚などに住みつくこともあります。
長年どころか、何百年も住みつくこともよくあります。
・霊障とは何?
霊が人や物に憑依して、その人や物の肉体を使って、色々な自分の目的を果たそうとすることで、入られた人や物に結果的にトラブルを起こすことが霊障です。(悪意のある場合が多い)。
ただし、一見霊障かと感じても、実は注意や警告を伝えようとしてくれたことが、
受け手には真意がわからず、障りを受けたと勘違いしてしまうことがあります。
(善意の場合が多い)。
・どんなとき霊障を受ける?
誰にでも憑依をはじめ、霊障を受ける可能性があります。
・何らかの怨みを受けているとき。
・身体が弱っているとき(体力の無いとき)。
・ボ~っとしてリラックスし過ぎているとき、心の隙。
・霊(魂)が不快になる行動をしたとき。
他にもありますが、一番多いケースが上記です。
・霊障や憑依を感じたら?
残念ながら、自分で自覚症状がある時には、かなり厳しいところまで至っていることが多いのも現実です。
できる限り早期に信頼できる所を見つけて処置をして下さい。
人生を台無しにするだけでは済まず、時には命にも関わってきます。
・信頼できる霊能者の見分けポイント
ホームページなどで探されることが多いでしょうが、全体のデザインや、派手な文句で、やたらと除霊だとか浄霊だとかしか話さないのは、少し???と思ってみて下さい。
また、状況説明をしっかりきちんと理論的に筋道が通ったことを言う、提案しているかどうかも、見分けるポイントだと思います。
あと「すぐに解決できる!」ばかりを強調するパターンも、よく見極めの必要があるかと思います。
宗教系も気を付けてみて下さい。
僧侶や神官だから対応できるとは限りません。
・見える、聞こえるなどはあたり前
「霊が見える」「感じる」など、自他ともに霊感体質だと言う方をよく見聞きします。
ですが、これは特段、すごいことではありません。
また、そういうことができることを不安に思う必要もありません。
ただ、これがあるから、何ができるか?といえば、特段何もありません。
これだけでは霊能者とも言えません。
私たちは皆、自身も霊であり、魂でもあります。
ただ肉体を持っている間は、不必要な力として、カバーされているだけなのです。
・霊視とは何をすることなのか?
「霊視」という言葉を耳にされたことはありますか?
文字だけを見ると、「霊を視る」という感じがするかと思います。
勿論、それも霊視の中の一つの行為であり、目的です。
しかしこれには他にも大切なことが含まれています。
霊視の対象者と共にある様々な環境や背景、対象者本人が気付かずにいる様々な状況などをを読み取ることも、霊視では大切なことといえます。
対象者の過去や未来も含めての情報を得ることも可能です。
私の場合、私の目=レンズを通して、神仏が、霊視によって読み取られた対象者への注意事項や、伝えるべき事項、内容が私に伝えられてきます。
霊視でできることは、人間だけの目では見えない、気付けないことを、私を通して状況把握し、問題の原因を知り、対象者にお伝えし、成すべきことを見極め、時には神仏からの啓示をお伝えする為の行為とも言えるのです。
・霊視と占いの違いってなに?
占いは基本的にビッグデータの統計学です。
四柱推命などが代表と申せましょう。学べば本当に深い大きなデータによる細密な学問であると痛感します。
しかし、占いの弱さがあるとすれば、刻々と変化し、突発的に発生する事故的トラブルや(霊障、憑依など)、自身の原因では無い、環境や人間関係の原因によるトラブルに対しての読み取り力や予知・予測が欠けているところです。
それに対して、霊視は現状・原因も含めて、発生している状態が読み取れることが大きな違いです。統計によるデータだけでは出てこない現状把握と予測・予知が可能である良さがあります。
占いの予測では、不都合をいかに回避するか?という見解までは出来ますが、ぶつかってしまったトラブルを解決(根本的に)をする手段を見つけることが難しい場合が多くなります。
ここが占いと霊視の大きな違いといえます。
ちなみに、私の四柱推命をご希望の場合はお受けしますが、霊視も同時に使って、不足している情報も補います。
実際のところ、四柱推命よりは霊視のほうが細やかに視ることが出来ます。
・崇りや呪い
崇り(たたり)や呪い、聞くだけで背筋がぞっとするキーワードですね。
・崇りとは・・・神仏や魂が生きている人間に災いを与える現象。
・呪いとは・・・生きている人間が悪意を強く持って他者に対して不幸をもたらせようとする行為。または、魂が生きている人間に対して同じく災厄や不幸を与える行為。
ざっくりと表現するならば、上記のようにいえるかと思います。
実際にこういうことはあるのでしょうか?そして行われているのでしょうか?
まず、崇りについてですが、神仏が生きている人間に対して災いを与えるということよりも、実は、神仏の怒りにふれるような行為を人間が意識的・無意識的に行ってしまった結果、神仏がそのあやまちに対して、襟を正し、道を正すよう、不遜な行為を行った人間に警告されたモノが、人間にとっては、災いを感じさせ、様々な状況が発生してしまうと考えるべきです。
生きている人間も、魂だけとなった人間も、それらを救い助け、導いて下さる神仏が、意味も無く、災厄・不幸を与えることはありません。
一般的なイメージの崇りとは大きく違います。
では、呪いはどうでしょう?
これは日本に限らず、世界中に様々な手段や形態で「呪詛」というものは存在しています。100%悪意を持って他者を不幸にしたいと願う心を人間も魂も持ってしまう可能性があるのです。
必ずしも、呪詛された側に、その原因的要素があるとは限らず、むしろ被害者であることが多いのです。
日本では「丑の刻まいり」や「わら人形」などが、よく知られた呪詛法の一つですが、実際に成就させることが難しいのも事実です。
底つきぬ、怨みの心が、対する魂にダメージを与えたいという念が成せる、許されざる行為といえましょう。
怨みから何ひとつとして幸せなど生まれないのですから。
・祟り・警告を感じたら
あっては困りますが、崇りかと感じられるなにごとかが起こっているときにはどうするのか?
マスコミに登場する霊能者という人々が頻繁に口にする言葉が、「おはらい」「はらう」です。
災いをはらう、というような気分で言っているのでしょうか?
しかし、このような最低な行為、神仏に対してこれ以上は無い、不敬な行為はありません。
崇りを神仏からの警告として受け止め、無礼、非礼をお詫びし、誤った道を正してこそ、解決へとつながるのです。
「はらう」とは、邪気や厄、厄災を祓い、浄めるとの意があるのです。
このような基本が理解できていない霊能者などは、私から言わせれば、救いの無い愚者と言えます。
するべき対処、礼節を尽くし、改善・反省の態度を指示してくれる方にご相談して、少しでも早く解決を目指して下さい。
・呪詛を受けていると感じたら
仏教では、人間を指して愚衆とも言っています。
その通り、人間とは本当に罪深く、欲深い生き物と申せましょう。
真理・道理よりも、我欲が勝つ、幸せの上にも幸せを求め、人よりも自分の幸多きを願ってしまう生き物です。
だからこそ、神仏は人間に、人生という時間をお与えになり、生きる中で学び、考え、心理・道理を身に着けるべく努力をさせて成長した魂を育てなさいと教えて下さっているのです。
ですが、時に人は度を越えて、他者を不幸にしたい、貶めてしまいたいと強く怨みを募らせ、呪詛という行為にまで及んでしまう人間もいます。
この場合は、実に質の悪い結果を招くことも多いかもれません。
自分で何とかできると思っていても、相手の悪意が強すぎると、自己防衛対策だけでは解決できない場合も十分にありえます。
呪詛者の特定と呪詛内容をしっかりと調べ、迅速な対応を施せる力を持つ人を見つけて対処することも、しっかりと考えて頂きたいと思います。
「ご加護を頂ける神仏と、きちんと結びをしてくれる力(能力)」を持っていないと、正しい対処はできません。
・方位は大切なのか?
これは本当に大切です。
どなたも、せめて一年の初めには、当年度の方位図くらいは確認してみて頂きたいのです。
当年の凶方位(暗剣殺や五黄殺)くらいは知っておいて損はありません。
引越しや、仕事などの移動を伴うこと、あるいは病院に通院するときには、凶方への移動にあたらないか?などを知っておくだけでも、避けて通れる厄災はあるのです。
個々の細やかな事柄の把握には至らずとも、ざっくりとした厄災除けの一助になることは間違いありません。
大きな移動、変化、あとは重大・軽傷にかかわらず病院への通院は命に直結していますから、大切なポイントです。
生活の知恵として、知識の中に少しでも置いて過ごして頂ければ、必ず役に立ちます。
しかしながら、仕事の移動など、自分自身では自由の効かない事由で凶方へ向かわざるをえない場合には、しっかりと観てくれる所で、厄災を回避するべく、手段を相談してみて頂くと安心かと思います。
ちなみに、「方位凶方を犯す」とどうなるのか?
何事もすんなりと運ばない、トラブルが続出する、体調を崩す、誤診を受ける等々、面倒が発生する確率が高くなります。