・崇りや呪い
崇り(たたり)や呪い、聞くだけで背筋がぞっとするキーワードですね。
・崇りとは・・・神仏や魂が生きている人間に災いを与える現象。
・呪いとは・・・生きている人間が悪意を強く持って他者に対して不幸をもたらせようとする行為。または、魂が生きている人間に対して同じく災厄や不幸を与える行為。
ざっくりと表現するならば、上記のようにいえるかと思います。
実際にこういうことはあるのでしょうか?そして行われているのでしょうか?
まず、崇りについてですが、神仏が生きている人間に対して災いを与えるということよりも、実は、神仏の怒りにふれるような行為を人間が意識的・無意識的に行ってしまった結果、神仏がそのあやまちに対して、襟を正し、道を正すよう、不遜な行為を行った人間に警告されたモノが、人間にとっては、災いを感じさせ、様々な状況が発生してしまうと考えるべきです。
生きている人間も、魂だけとなった人間も、それらを救い助け、導いて下さる神仏が、意味も無く、災厄・不幸を与えることはありません。
一般的なイメージの崇りとは大きく違います。
では、呪いはどうでしょう?
これは日本に限らず、世界中に様々な手段や形態で「呪詛」というものは存在しています。100%悪意を持って他者を不幸にしたいと願う心を人間も魂も持ってしまう可能性があるのです。
必ずしも、呪詛された側に、その原因的要素があるとは限らず、むしろ被害者であることが多いのです。
日本では「丑の刻まいり」や「わら人形」などが、よく知られた呪詛法の一つですが、実際に成就させることが難しいのも事実です。
底つきぬ、怨みの心が、対する魂にダメージを与えたいという念が成せる、許されざる行為といえましょう。
怨みから何ひとつとして幸せなど生まれないのですから。
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